思いつき連載 VBA王子 ニューヨークへ行く #9
前回
#9
お目当ての人物は自席で、パソコンに向かっていた。
「川口さん」
赤羽は声が裏返らないように注意しながら、声をかける。そして、意識すればするほど失敗する、という教訓を得た。
「あ、赤羽君。どうしたの?」
北浦さんが、システムのことで確認したいから、時間があいたら資料管理室に来てほしいと言っていた。
赤羽は用意していた言葉を伝えた。
一度英作文になおしてから同時通訳するくらいにはスムーズにいったな、と自己評価していたところ、うしろに気配を感じて振り向く。
「それって、川口さんご指名なの?」
係長の蕨だった。
赤羽は固まった。
「最悪、他のやつでもいいけど、蕨だけは呼ぶなよ」
と、言われたような気がする。
いや、気のせいかもしれない。
「V! それはヴァイオレンス~」
北浦は頭に浮かんだ言葉に節をつけて口ずさんでいた。
ノッている時、逆にあまりにもノッていない時に出る癖だ。たまに資料管理室の脇を通る社員をびっくりさせたり、気味悪がらせたりしていることを彼は知らない。
「B! それはブラッドピット~」
快調にキーを叩いていた指が止まる。
3月いっぱいで辞めた、斎田マリの顔が浮かんでいた。
ブラッドピットとの関連を考えるが、特に思い当たらなかった。人間の脳は不思議なものだ、と思う。
「・・・あいつ、どうしてるかな」
上昇志向の強い人間だった。VBAもどんどん吸収していった。異性関係でも貪欲で、色々とこじらせた結果会社にいづらくなったのではないか、と巷間ささやかれている。
しかし、北浦は斉田が唐揚げを箸で刺しながら言ったことを覚えていて、それが辞めた本当の理由だろうと考えていた。
―もっと大きなシステムが作りたいんです。
VBAをやってみて、プログラミングの面白さに気づき、他の言語もやってみたくなる。わかる。
もっと大きなシステムを作ってみたくなる。これはわからない。
わからないが、そういう奴もいるんだ、ということで北浦は納得した。
いくら自分が教えた相手とはいえ、出ていきたいという人間を止めることはできないし、言うべきことはあまりない。
ちゃんと資料作っていけよ。
ちゃんと引継ぎしていけよ。
時間返せ。
・・・くらいだった。
はあと大きく息をつくと、続けて、総務課の新人の、ぼけっとした顔が浮かぶ。とっちゃんぼうや、というのが第一印象だった。
「赤羽君。赤羽クンなあ」
引継ぎができていないのは明らかだ。やる気も、あるのかないのかよくわからない。
そして、大事なことは、北浦の側も斉田の時ほど教える気が起きない、ということだった。
「かわいいおなごがええのう」
広報課の新人の顔が浮かぶ。
社内の男性陣の間で「今年は当たり年」と言われるほど、評判がよい。つまり、外見がよい。ちなみに毎年、女性の新人はゼロか1人なので「年」はそのまま、その新人への評価を意味している。
北浦はそういうことを積極的に言うタイプではなかったが、内心で積極的に同意する人間だった。
なお、男は毎年2,3人入るが、当然のように、女性陣から同様の査定が行われる。
今年は「1勝1分け」だ、という評価で決まりらしいということを北浦は耳にしていた。自分の年がどうだったかは、一生耳に入らなければよいな、と思っている。
総務課の浮間の顔が浮かぶ。
北浦は舌打ちした。
「A! A、A、A・・・アンドレ・ザ・ジャイアントのアンドレ~は、Aかな~」
トントン―
ドアがノックされる音が重なった。
「失礼するわね」
返事も待たずに入って来た人物を見て、北浦は内心毒づく。広報課の蕨係長だった。
あの、とっちゃんぼうやが!
- つづく -